Nosediveに学ぶ、ランク社会に生きるということ

「Nosedive」というショートムービーをご存知でしょうか。
邦題は「ランク社会」。英国発のSFシリーズ「ブラックミラー」の中の1篇です。

主人公のレイシーが暮らす社会は、文字通り究極の「ランク社会」。すべての人間に対して0.0~5.0までのレーティングがなされており、日常のあらゆる行動について他者から評価を受けることで自らのランクが決まります。SNSへの投稿は勿論、何気ない雑談やコーヒーショップでの接客に至るまで、その評価ポイントはさまざま。

このシステムの肝所は高ランク(評価)保持者への待遇です。
例を挙げましょう。劇中、レイシーは引っ越しのため賃貸物件を探すのですが、お気に入りの物件は想定よりも家賃がお高め。しかし、レート4.5以上になれば20%引き=プライム・プログラムの恩恵を受けることが出来るというのです。その話を聞いて、レイシーの弟は「エリート向けの物件だ」と揶揄します。

一方、レート2.4という低ランクの人物にいたっては、なんとオフィスビルのドアすら開けることが許されていません。高レートの人物が優遇され、低レートの人物は冷遇される、露骨なまでのランク社会です。


引用:Youtube

よくあるディストピアものの一つでしょ、と笑うことなかれ。中国ではこれに近いようなシステム(社会信用システム)が既に始動しており、低レートの人物に対するペナルティも検討されているそうです。日本でも、「フォロワーの数だけ割引する」といったキャンペーンがいくつか行われていますが、これはいわば高レートの人物に対する特別待遇であり、小さなランク社会の出現といえます。


引用:THE SCENE フォロ割

「Nosedive」は、主人公のレイシーが自らのレートを上げるために奔走し、同時に様々なものを見失っていく物語です。
もし、このシステムを支える――周りから良い人間だと評価されることが良い人間の条件であるという――仮説が正しければ、現実世界でもレイシー同様多くの人々が自らの評価を上げることに必死になるでしょう。むしろYouTuberやインスタグラマーがあこがれの職業とされているいま、すでに私達にもそういった部分があると言ってよいのかも知れません。

ランク社会の最も大きな問題は、そのレーティングの正しさが確保できないところにあります。多くの人にとって、フェアに他人を評価することは至難の業です。恩を受ければ恩で返したくなるという「返報性の原理」は有名ですが、私達は無意識に誰かを贔屓してしまう生き物です。ましてや、「国民評価センター」のような公的機関を立ち上げたとすれば、それによってどのような問題が起こるかは言うまでもないでしょう。ランク社会の設計は、その言葉の持つイメージよりもずっと難しいものだと言えます。

一億総表現者時代において、私達は私達というコンテンツの編集者です。切れ味鋭いツイートで、インスタ映えする投稿で、競うように自分というブランドを編集しています。それによってファンや評価を勝ち取っていくことは素晴らしいことですが、一方で、他者からの、あるいは他者への評価に対するクリティカルな姿勢は保ち続けたいものです。多くの人に良い人間だと評価されることと、彼が良い人間であることは必ずしもイコールではないことを、「Nosedive(=急降下)」は私達に教えてくれるのです。