アメリカ・近代・父親と村上春樹

 村上春樹は、自らの作品と生き方とを以て(父親になることを拒否することで)日本の「近代」にとどめをさそうとした最後のモダニストと見ることもできるかもしれない――なんてことをこの本を読んで思った。
 いかにも新書風のタイトルだが、この本は、近代以降の日本に君臨しているアメリカという「父」と、失われた日本の父(=否定され乗り越えられるべき恥ずかしい父親とされた日本の父)と、それらに対して日本文学が
取ってきた態度について論じたものだ。
●限定し承認する存在としての父=アメリカに対する依存と、その事実を認めたくないという内心が、芥川賞選考委員たちに村上春樹への授賞を思いとどまらせたのだ、とする話から始まって――
●明治維新後の日本の近代化(アメリカ化)において、文学は人々に西洋風の「内面」を共有させるための洋化装置としての役割を負っていたという話に至り――
●村上春樹が(本人も作品の主人公も)頑ななまでに父親になることを拒む理由へと突入していく――。
読んでいて、いったいどこへ連れて行かれるんだろうという気にさせる、ジェットコースター的に楽しめる評論だった。
 それにしても、今(2010年)20歳くらいの人にとって、アメリカってどんなふうに見えているんだろう。1966年生まれの僕にとっては、アメリカはまだ憧れることのできる存在だった(=限定し承認する父だった)のだけど。
Photo:  CC by mikebaird