「フリー」の世界で僕らが生き残るには?

 Webコンテンツに関わる仕事をしている人間にとって、『フリー』はなかなか厳しい本だった。自分が日々直面している市場が、いまやいかにシビアな場所になっているのかを、理路整然と総合的に説明されて、改めて思い知らされた気がした。
 希少性がなく潤沢なものはコモディティ化してどんどん値段が下がり、
デジタルの世界ではそれは限りなくフリーに近づく。僕が仕事で関わっているウェブコンテンツ、それも主にテキストと図版によって構成されている「記事」的なコンテンツ(つまり「エントリー」だ)の価値は、ブログ以降ほんとうに希少性がなくなり、どんどん値段が下がっているという実感がある。
 テキストは読み書き(リテラシー)という小学校レベルで習う技術をベースにしているから、そもそもそれを身につけている人の数はとても多く、しかもブログによってそれを不特定多数に届けるほとんど無料の手段を獲得した。
 写真はデジタルカメラの普及で、芸術的な価値を別にすれば、素人でも失敗のない写真を簡単に撮影することができるようになった。それを人に見せる手段も、ブログやFlickrによってたくさんの人に開かれた。
 そんなテキストと写真で構成されている「記事」の値段がフリーに近づくのは自然な成り行きだろう。読者にとってフリーというだけでなく、ライターや編集者といったプロたちがメディア会社に記事を売る価格(受託で記事を作る際の報酬)も、下がってきているように思える。そりゃあそうだろう。ネットでただでいくらでも手に入るテキストと写真を、高い価格で仕入れたいと事業者が考えるケースは限られてきている。プロフェッショナルでなければ提供できない希少性のある情報や、プロフェッショナルでなければ作れない品質の高い文章といった明確な価値を求められる状況でなければ、それは無料かとても安価な代替品に取って代わられてしまう。
(この状況は、「そんなの100均でいいじゃん」と僕らが口にするときの感覚とよく似ている)
 上のような話題は、『フリー』の中では、フリーへのいろんな疑念に対してクリス・アンダーソンが反論する第16章の14番目の項目のところに、簡潔にまとめて述べられている。
 そこでは、「より多くの人が金銭以外の理由でコンテンツを作るようになれば、それを職業としている人との競争が高まる」ことを認めた上で、しかし「出版によってお金が稼げなくなることを意味してはいない」とクリスは言っている。でも新聞業界は「劇的に再構築されなければならない」し、プロのジャーナリストの(数は増えるが)報酬はかなり減り、専業ではなくなるかもとも言っている。
 。。さて。とはいえ僕らは、そんな「記事」なんていうものを集約的に作って納品したりして商売をしているのだ。当然ながら、いかにそこに希少な価値を持ち込むかを必死で考えないと生き残っていけない。あるいは、逆に巨大で効率的な「100均」業者にならないといけないんだろう。
 今のところスプーが選んでいる選択肢は前者の方向性だけども、では何によって希少性を手に入れればいいのか。かつてないような面白い仕掛けを組み込むことができるようなWeb技術とか、ものすごくかっこいいデザインといったものはわかりやすくていい。誰が見ても、それは希少な価値があると直感できるから。
 僕らはいままで、どちらかというと、そういった派手な価値ではなく、編集の気の利いてる具合とか、構成の面白さとか、記事の品質といったところをセールスポイントにして営業してきた。
 でも、たぶんそれだとわかりにくいんだろう。
 そういうことをバックエンドでは大事にしつつも、驚くような仕掛けや、見たことないデザインや、ありえないキャスティングみたいなことをフロントエンドに持ってくるようなメディアデザインをしないといけないのかも知れない。
 いやいや、でもそれだけじゃ全然「フリーを味方につけて」ないよなー。
 なにか画期的な「100均」の方向もありなんだろうか。組み合わせればいいのか。。。
 『フリー』のような本は僕の通勤時間を悶々とさせる。